オーストラリア、ブリスベンの高速道路(Motorway)手前にあるサインです。
高速道路に入ってはいけない場合が書かれています。最初はPedestrainans、つまり歩行者ですね。歩いて高速道路に入ることは決してできません。普通は歩かないのですが、きっと大酒飲みのオージたちは酔っぱらって歩いて帰ろうなんて思ったりするのでしょうかね。そんな人たちが入るのを禁止しているのでしょうか。
それから、Bicycles、自転車ですね。さすがに車がついていても100キロ近く車がかっ飛ばす道路では自転車で走るには無謀すぎますね。ツールドフランスぐらいでしょうか。自転車は高速道路に入れません。
さてお次はというと、Animals、動物です。
「はい、そこの熊さんココから先は入ってはいけませんよ!」
えっ?熊には言葉が通じない?
じゃぁ、犬?
「わん、わわわーん、わん~、わっん!」
無理そうです。
そうか、英語で「Baw bawwoow baooow!」
やっぱりだめ。
じゃぁこれは何が禁止なの?ってなりますね。
ここのanimalは辞書に乗っている「動物」という意味だけでは不正解です。
正解は…馬に乗って入ったり、牛に車を引かせたりして入ってはいけないということですね。
「熊にまたがりおうまの稽古」をしている金太郎は無理ですね。
えっ?辞書のanimalを調べても動物に乗ってという意味は載ってないって。
そうですね。乗るなんて載っていませんね。
<ことば>の意味は全て辞書に書いてあると思ったら大きな間違いなんです。辞書に書かれているのは代表的な意味だけなんです。
日本人は動物って聞くと、犬や猫を連想しますので、ここでのanimalを犬や猫を指しているのかと勘違いしてしまう人もいるかもしれません。そもそも、牛や馬が交通の手段を担っていた時期がほとんどなかった日本にとって、このサインの意味を正確に解釈することは難しいですよね。
これは、いくら英語でanimalの意味が分かっていたとしても、その文化的な背景を持ち合わせていないことや、言葉の使われる状況(コンテクスト)を正確に把握しない限りこのサインをちゃんと理解することができないということを示しています。
言葉の意味は辞書的な意味によって決まるのではなく、言葉が使われる状況によって決定するのという、語用論(という、言語学のひとつの研究領域)の基本的な考え方もあわせてここで理解できたはずです。
(倉林秀男)
高速道路に入ってはいけない場合が書かれています。最初はPedestrainans、つまり歩行者ですね。歩いて高速道路に入ることは決してできません。普通は歩かないのですが、きっと大酒飲みのオージたちは酔っぱらって歩いて帰ろうなんて思ったりするのでしょうかね。そんな人たちが入るのを禁止しているのでしょうか。
それから、Bicycles、自転車ですね。さすがに車がついていても100キロ近く車がかっ飛ばす道路では自転車で走るには無謀すぎますね。ツールドフランスぐらいでしょうか。自転車は高速道路に入れません。
さてお次はというと、Animals、動物です。
「はい、そこの熊さんココから先は入ってはいけませんよ!」
えっ?熊には言葉が通じない?
じゃぁ、犬?
「わん、わわわーん、わん~、わっん!」
無理そうです。
そうか、英語で「Baw bawwoow baooow!」
やっぱりだめ。
じゃぁこれは何が禁止なの?ってなりますね。
ここのanimalは辞書に乗っている「動物」という意味だけでは不正解です。
正解は…馬に乗って入ったり、牛に車を引かせたりして入ってはいけないということですね。
「熊にまたがりおうまの稽古」をしている金太郎は無理ですね。
えっ?辞書のanimalを調べても動物に乗ってという意味は載ってないって。
そうですね。乗るなんて載っていませんね。
<ことば>の意味は全て辞書に書いてあると思ったら大きな間違いなんです。辞書に書かれているのは代表的な意味だけなんです。
日本人は動物って聞くと、犬や猫を連想しますので、ここでのanimalを犬や猫を指しているのかと勘違いしてしまう人もいるかもしれません。そもそも、牛や馬が交通の手段を担っていた時期がほとんどなかった日本にとって、このサインの意味を正確に解釈することは難しいですよね。
これは、いくら英語でanimalの意味が分かっていたとしても、その文化的な背景を持ち合わせていないことや、言葉の使われる状況(コンテクスト)を正確に把握しない限りこのサインをちゃんと理解することができないということを示しています。
言葉の意味は辞書的な意味によって決まるのではなく、言葉が使われる状況によって決定するのという、語用論(という、言語学のひとつの研究領域)の基本的な考え方もあわせてここで理解できたはずです。
(倉林秀男)